ほのしん講座

難経・解読
臓腑篇

このページでは全六篇で構成される難経の第三篇、臓腑篇(三十難〜四十七難)の原文と翻訳を掲載しています。
翻訳・解説した人
中野 保
二天堂鍼灸院 院長
行岡鍼灸専門学校卒業後に北京堂鍼灸・浅野周先生に師事。2001年に独立し二天堂鍼灸院を開院。2007年に炎の鍼灸師・養成講座(現在のほのしん講座)を開校し、未来の鍼灸師の育成にも力を入れています。2018〜19年に 『医道の日本』誌に治療法連載。
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鍼治療の学術書を出版しました

『鍼治療の醍醐味を知れば誰だって鍼の虜(とりこ)になるはず!』
本書は鍼灸師向けに書いた鍼治療の専門書です。
私の行っている治療法を整理、体系化し、難しいことを可能な限りシンプルにわかりやすくまとめました。現役の鍼灸師はもちろんのこと、これから鍼灸師を目指している人、鍼灸治療のことをもっと知りたい人たちにも興味深く読んでいただける内容になっています。
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第三十難

三十難曰:栄気之行、常与衛気相隨不?

然。経言人受気於穀。穀入於胃、乃伝於五臓六腑、五臓六腑皆受於気。其清者為栄、濁者為衛。栄行脈中、衛行脈外。営周不息、五十而復大会。陰陽相貫、如環之無端、故知栄衛相隨也。

翻訳文

三十難曰く:栄気の循環は、常に衛気と随行するのですか?

それは~。内経の記載によると、人は飲食物から気を受けます。飲食物は胃に入り、消化吸収され、脾の運化作用により五臓六腑へと伝えられ、その気によって五臓六腑は栄養されます。飲食物の清濁のうち、清なる物は栄気となり、濁なる物は衛気となります。栄気は脈中を循環し、衛気は脈外を循環します。栄衛の気は絶えず循環し、人体を一昼夜のうちに五十回巡り、手の太陰肺経に戻ります。その循環は陰陽を相互に通行させ、メビウスの輪のように終わりがありません。だから栄衛は共に循環していると判るのです。

第三十一難

三十一難曰:三焦者、何稟何生?何始何終?其治常在何許?可暁以不?

然。三焦者、水穀之道路、気之所終始也。上焦者、在心下、下膈、在胃上口、主内而不出、其治在膻中、玉堂下一寸六分、直両乳間陷者是。中焦者、在胃中脘、不上不下、主腐熟水穀、其治在臍傍。下焦者、当膀胱上口、主分別清濁、主出而不内、以伝導也、其治在臍下一寸。故名曰三焦、其腑在気街。

翻訳文

三十一難曰く:三焦は、どのように機能しているのですか?どこから始まりどこへ終わるのですか?治療する時はどの経穴を使うのですか?以上を明らかにしてください。

それは~。三焦は飲食物が流通する通路であり、※気化作用の終始(全体の機能)を司っています。上焦は心下にあって横隔膜を下がった所、胃の上口(噴門)にあたります。飲食物を取り入れ、戻しません。上焦の病には膻中穴を使って治療します。膻中穴は玉堂の下一寸六分で、左右の乳頭の間に取ります。中焦は胃の中脘(胃の内側、内腔)にあって、上でも下でもなく、身体の中央にあります。飲食物の消化吸収を司ります。中焦の病には臍傍にある天枢穴を使って治療します。下焦は膀胱の上口にあり、清濁(再吸収する水分と尿)を分別し、内に留めることなく送り出し、伝導させています。下焦の病には臍下一寸にある陰交穴を使います。つまり上焦、中焦、下焦、これらを合わせて三焦というのです。その腑は※気街にあります。

※主に水液代謝の機能を指す。体内の水液の流通と排泄の器官を管理するのは三焦であり、同時に自らが水液流通と排泄の通路となる。
※気街とは経気が通行する道路のこと。気街は、頭、胸、腹、脛、四ヶ所にあります。

第三十二難

三十二難曰:五臓倶等、而心肺、独在膈上者、何也?

然。心者血、肺者気、血為栄、気為衛、相隨上下、謂之栄衛。通行経絡、営周於外、故令心肺在膈上也。

翻訳文

三十二難曰く:五臓のうち、心肺だけが横隔膜よりも上にあるのは、なぜですか?

それは~。心は血脈を主り、肺は一身の気を主ります。血は栄気となり、気は衛気となり、互いに随行し、全身を巡ります。だから気血栄衛というのです。栄気と衛気は、経絡を通行し、身体各所を常に巡回しています。つまり心肺は陽気を主るので、上焦(陽の部位)に位置するわけです。

第三十三難

三十三難曰:肝青象木、肺白象金。肝得水而沈、木得水而浮。肺得水而浮、金得水而沈。其意何也?

然。肝者非為純木也。乙角也。庚之柔、大言陰与陽、小言夫与婦、釈其微陽而吸其微陰之気。其意楽金、又行陰道多、故令肝得水而沈也。肺者非為純金也、辛商也。丙之柔、大言陰与陽、小言夫与婦、釈其微陰婚而就火。其意楽火、又行陽道多、故令肺得水而浮也。

肺熟而復沈、肝熟而復浮者、何也?

故知辛当帰庚、乙当帰甲也。

翻訳文

三十三難曰く:肝の五行色体は青で木に喩えられます。肺の五行色体は白で金に喩えられます。しかるに肝臓は水に沈むのに、木は浮きます。肺臓は水に浮くのに、金は沈みます。これはどうしてですか?

それは~。肝は純粋な木ではありません。十干で言えば乙にあたり、五音で言えば角音にあたります。乙木は庚金に剋されます。大きく言えば陰陽の関係で、小さく言えば夫婦の関係です。つまり微陽は、微陰の気を吸収していると解釈できます。その意思は金と楽しみ、陰道を多く行くようになります。だから肝は水に沈んでしまうのです。 肺の純粋な金ではありません。十干で言えば辛にあたり、五音で言えば商音にあたります。辛金は丙火に剋されます。大きく言えば陰陽の関係で、小さく言えば夫婦の関係です。つまり微陰は、丙火と結婚したと解釈できます。その意思は火と楽しみ、陽道を多く行くようになります。だから肺は水に浮いてしまうのです。

詳説:五音とは、角、徴、宮、商、羽の音階です。十干とは、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸の天干(てんがん)です。それぞれを木、火、土、金、水に当てはめますと、木:甲乙、火:丙丁、土:戊己、金:庚辛、水:壬癸に属します。しかし同じ木と言っても、甲は木の兄、乙は木の弟であり、庚は金の兄、辛は金の弟と、優劣があるのです。 乙は木の弱者であり、陰だから弟なのです。弱い者同士、つまり同性同士では配偶者になれないので、乙木の弟は、己より勝る金の兄を配偶者に選びます。同じように甲木の兄は強者なので、弱者の弟で剋する関係にある土の弟、己土を配偶者に選びます。だから乙木は庚の柔、つまり剛に対する弱者、弟であり剋される立場にあるものなのです。これを大きく言えば陽金と陰木の関係、小さく言えば夫の金と妻の木の関係です。こうして微弱な陽である乙木は、夫である微弱な庚金の陰気を吸収しているのです。乙木は喜んで夫の庚金に従い、陰の道を行くことが多くなります。つまり肝は陰臓であるため陰木となり、夫の陽金の金性質を取り込むため純木でなく、金が混じるので、陰の下る性質が強くなって水に沈みます。喩えて言えば、木の柄が着いたカナヅチが水に沈むのと同じ理屈です。 肺も純金ではなく辛商です。だから金を溶かす火の兄、つまり丙の妻なのです。大きく言えば陽火と陰金、小さく言えば夫の火と妻の金の関係です。陰金は微弱な陰を捨てて丙火と結婚し、火となったと解釈します。陰金は喜んで火に従い、陽の道を行くことが多くなります。つまり肺は陰臓であるため陰金となり、夫の陽火の火性質を取り込むため純金でなく、火が混じるので、陽の上る性質が強くなって水に浮きます。喩えて言えば、金のタライが水に浮くのと同じ理屈です。

肺が腐ると沈み、肝が腐ると浮きますが、それは何故ですか?

死んでしまって陰陽が離決すれば、夫婦は別れて本来の性質に戻ってしまいます。つまり辛金も結局は庚金の元へ戻ってしまい、純粋な金になって沈んでしまい、乙木も最後には甲木の元へ戻ってしまい、純粋な木になるので浮くことが判ります。

第三十四難

三十四難曰:五臓、各有声色臭味、皆可暁知以不?

然。十変言。肝色青、其臭臊、其味酸、其声呼、其液泣。心色赤、其臭焦、其味苦、其声言、其液汗。脾色黄、其臭香、其味甘、其声歌、其液涎。肺色白、其臭腥、其味辛、其声哭、其液涕。腎色黒、其臭腐、其味鹹、其声呻、其液唾。是五臓声色臭味也。

五臓有七神、各何所蔵耶?

然。臓者人之神気所舍蔵也、故肝蔵魂、肺蔵魄、心蔵神、脾蔵意与智、腎蔵精与志也。

翻訳文

三十四難曰く:五臓には各々、声・色・臭・味の属性があるが、これについて教えてください。

それは~。十変にはこうあります。肝の色は青、臭は臊(あぶらくさい)、味は酸、声は呼、液は泣(涙)。心の色は赤、臭は焦(こげくさい)、味は苦、声は言、液は汗。脾の色は黄、臭は香、味は甘、声は歌、液は涎(よだれ)。肺の色は白、臭は腥(なまぐさい)、味は辛、声は哭、液は涕(はなみず)。腎の色は黒、臭は腐(くされくさい)、味は鹹(しおからい)、声は呻(うめく)、液は唾。以上これが五臓の声・色・臭・味です。

次に五臓の七神について、教えてください。

それは~。やはり五臓には各々主る精神があります。肝は魂を宿し、肺は魄を宿し、心は神を宿し、脾は意と智を宿し、腎は精と志を宿します。

第三十五難

三十五難曰:五臓各有所腑、皆相近。而心肺、独去大腸小腸遠者、何也?

然。経言、心栄肺衛、通行陽気、故居在上。大腸小腸、伝陰気而下、故居在下。所以相去而遠也。

又諸腑者皆陽也、清浄之処。今大腸、小腸、胃与膀胱、皆受不浄、其意何也?

然。諸腑者、謂是非也。経言、小腸者、受盛之腑也。大腸者、伝瀉行道之腑也。胆者、清浄之腑也。胃者、水穀之腑也。膀胱者、津液之腑也。一腑猶無両名、故知非也。 小腸者心之腑、大腸者肺之腑、胆者肝之腑、胃者脾之腑、膀胱者腎之腑。 小腸謂赤腸、大腸謂白腸、胆者謂青腸、胃者謂黄腸、膀胱者謂黒腸。下焦所治也。

翻訳文

三十五難曰く:五臓と表裏関係にある腑は、大抵傍に位置するのに、心、肺と表裏関係にある小腸と大腸のみが遠く離れているのは、なぜですか?

それは~。心は栄気を主り、肺は衛気を主り、陽気を通行させています。だから上焦(陽の部位)にあるのです。〔三十二難参照〕 大腸と小腸は陰気(この場合、清濁の気。つまり大小便の老廃物を指す)を下に送るので、下焦にあるわけです。だから心、肺と小腸、大腸は遠く離れているのです。

それでは諸腑はすべて陽に属し、清浄の腑であるはずなのに、大腸や小腸や胃や膀胱に、不浄の気が入ってくるのは、なぜですか?

それは違う。諸腑がすべて清浄というわけではありません。内経の記載によると、小腸は受盛の官(胃が腐熟させた水穀を受け入れて膨らむ管)です。大腸は伝道の官(糟粕を外部へ送り出す管)です。胆だけが清浄の腑です。胃は水穀の海(水穀がたくさんある所)です。膀胱は津液の腑(州都の官/水液を貯蔵するタンク)です。諸腑に、これ以外の名があるとは、聞いたことがありません。だから清浄の腑というのは間違いと判るのです。 小腸は心に属し、大腸は肺に属し、胆は肝に属し、胃は脾に属し、膀胱は腎に属します。 五臓と色の属性に基づき、小腸は赤腸、大腸は白腸、胆は青腸、胃は黄腸、膀胱は黒腸と呼ばれ、膀胱は下焦が治めます。

第三十六難

三十六難曰:臓各有一耳、腎独有両者、何也?

然。腎両者、非皆腎也。其左者為腎、右者為命門。命門者、諸神精之所舍、原気之所繋也。男子以蔵精、女子以繋胞。故知腎有一也。

翻訳文

三十六難曰く:五臓は各々一つと聞きましたが、腎だけが二つあります、どうしてですか?

それは~。腎には左腎と右腎がありますが、両者を腎とは呼びません。左を腎といい、右は命門といいます。命門は、神気と精気を宿す所で、原気(生命力)の源を維持する場所です。男子の場合、精気を蔵し、女子の場合、子宮と繋がっています。だから腎と呼ばれるものは一つなのです。

第三十七難

三十七難曰:五臓之気、於何発起?通於何許?可暁以不?

然。五臓者、当上関於九竅也。故肺気通於鼻、鼻和則知香臭矣。肝気通於目、目和則知黒白矣。脾気通於口、口和則知穀味矣。心気通於舌、舌和則知五味矣。腎気通於耳、耳和則知五音矣。 五臓不和、則九竅不通。六腑不和、則留結為癰。 邪在六腑、則陽脈不和、陽脈不和則気留之、気留之則陽脈盛矣。邪在五臓、則陰脈不和、陰脈不和則血留之、血留之則陰脈盛矣。陰気太盛、則陽気不得相営也、故曰格。陽気太盛、則陰気不得相営也、故曰関。陰陽倶盛、不得相営也、故曰関格。関格者、不得尽其命而死矣。

経言、気独行於五臓、不営於六腑者、何也?

然。夫気之所行也、如水之流不得息也、故陰脈行於五臓、陽脈営於六腑、如環無端、莫知其紀、終而復始。其不覆溢、人気内温於臓腑、外濡於腠理。

翻訳文

三十七難曰く:五臓の精気はどこから発して、どこに通じているのですか?これを明らかにしてください。

それは~。五臓の精気は※九竅に関係しています。だから肺気は鼻に通じており、鼻が正常ならば香臭(匂い)を嗅ぎ分けられます。肝気は目に通じており、目が正常ならば白黒(色)を見分けられます。脾気は口に通じており、口が正常ならば穀物を味わえます。心気は舌に通じており、舌が正常ならば五味(酸・苦・甘・辛・鹹)を味わいつくせます。腎気は耳に通じており、正常ならば五音(角・徴・宮・商・羽)を聴き分けられます。 五臓が病めば、精気が九竅へ通じなくなり、正常に機能しなくなります。六腑が病めば、気血が渋滞し、しこりができて癰(腫瘍、潰瘍、おでき等)となります。 病邪が六腑を犯せば、陽脈が失調し、気が渋滞し、陽脈が満杯になります。病邪が五臓を犯せば、陰脈が失調し、血が渋滞し、陰脈が満杯になります。陰脈の気が溢れ、陽脈の気が正常に運行できなくなったものを格といいましたね(外関内格/陰乗之脈)、 陽脈の気が溢れ、陰脈の気が正常に運行できなくなったものを関といいましたね(内関外格/陽乗之脈) 〔三難参照〕、そして陰陽が共に溢れ、相互に通行できなくなったものを、関格といいます。関格の病になれば、寿命をまっとうできずに亡くなります。

※九竅とは頭部の七竅(目×2、鼻×2、口、耳×2)に尿道口と肛門をあわせた、全部で9つの穴(竅)のこと。

内経には「精気は五臓だけに行き、六腑は栄養しない」とありますが、どういうことですか?

そんなことはありません。精気の運行は、水の流れのごとく停止しません。だから陰脈の気は五臓を栄養し、陽脈の気も六腑を栄養し、循環しています。この循環に終わりはなく、始まりを知ることもできません。つまり終わった所が始まりなのです。精気は、溢れたり、ひっくり返ったりせず、内に臓腑を温め、外に腠理を潤しています。

第三十八難

三十八難曰:臓唯有五、腑独有六者、何也?

然。所以腑有六者、謂三焦也。有原気之別焉、主持諸気。有名而無形。其経属手少陽、此外腑也。故言腑有六焉。

翻訳文

三十八難曰く:臓は五つだけなのに、腑は六つあります、なぜですか?

それは~。腑が六つなのは、三焦があるからです。三焦は原気(生命力)の運び役で、臓腑経絡で、さまざまな気化活動をしています。名前があって、形はありません。その経脈は手の少陽に属し、これが五臓五腑にあてはまらない一腑です。だから腑には六つあるというのです。

第三十九難

三十九難曰:経言、腑有五、臓有六者、何也?

然。六腑者、正有五腑也。五臓亦有六臓者、謂腎有両臓也。其左為腎、右為命門。命門者、精神之所舍也、男子以臓精、女子以繋胞。其気与腎通。言臓有六也。

腑有五者、何也?

然。五臓各一腑。三焦亦是一腑、然不属於五臓。故言腑有五焉。

翻訳文

三十九難曰く:内経には「腑は五つで、臓は六つ」とあります、なぜですか?

それは~。六腑は正しくは五腑です。五臓もまた正しくは六臓である理由は、腎が二つあるからです。左を腎といい、右を命門といいましたね。命門は精気と神気を宿す所で、男子の場合、精気を蔵し、女子の場合、子宮と繋がっています。その気は左腎と通じています。だから命門を入れると、臓は六つになるのです。〔三十六難参照〕

それでは腑が五つとあるのは、なぜですか?

それは~。五臓には各々一腑が属します。また三焦も一腑にはかわりないのですが、五臓には属していません。だから腑は五つといわれるのです。

第四十難

四十難曰:経言肝主色、心主臭、脾主味、肺主声、腎主液。鼻者、肺之候、而反知香臭。耳者、腎之候、而反聞声。其意何也?

然。肺者、西方金也。金生於巳、巳者南方火。火者心、心主臭。故令鼻知香臭。腎者、北方水也。水生於申、申者西方金。金者肺、肺主声。故令耳聞声。

翻訳文

四十難曰く:内経には「肝は色を主り、心は臭を主り、脾は味を主り、肺は声を主り、腎は液を主る」とあります。しかし匂いを知るのは鼻であり、鼻は肺に属し、心ではありません。また、声を聞くのは耳であり、耳は腎に属し、肺ではありません。これはどういう意味ですか?

それは~。肺の属性は西方の金です。五行相生では、金は巳に生まれ、巳は南方の火にあたります。火は心で、心は臭を主ります。したがって肺は心の子となるので、肺の主る鼻に匂いを識別させます。腎の属性は北方の水です。五行相生では、水は申に生まれ、申は西方の金にあたります。金は肺で、肺は声を主ります。したがって腎は肺の子となるので、腎の主る耳に声を聞かせるのです。

詳説:これは十二支を方位に当てはめて説明したもので、子を北、午を南とし、卯を東、酉を西に配します。北の子から丑、寅→東の卯→辰、巳→南の午→未、申→西の酉→戌、亥→北の子→丑と一周します。 巳は南南東なので南の始まりであり、午未と回って西の肺へ至ります。だから南の心は、次の西肺を生むことになるので、親である南心は、子である肺の鼻を使って臭いを嗅ぎ分けさせることができます。同じように申は西南西であり、西の始まりだから西に属し、次には北が来ます。だから西方の肺が親となり、子である腎の耳を使って音を聞き分けさせることができます。これは中心を土とし、その周りを取り囲んで東西南北を配置する方法で、東、南、西、北と相生関係となります。これは七十五難でも再登場する理論です。

第四十一難

四十一難曰:肝独有両葉、以何応也?

然。肝者、東方木也。木者春也。万物始生。其尚幼小、意無所親。去太陰尚近、離太陽不遠。猶有両心。故有両葉。亦応木葉也。

翻訳文

四十一難曰く:肝だけが二葉ありますが、なぜですか?

それは~。肝の五行属性は、東方の木です。木は春です。春は万物の成長が始まる季節です。その性質はまだ幼いので、親しく何かに傾倒してはいません。冬(太陰)が去って、まだ間もなく、夏(太陽)が訪れるのも、そう遠くはないでしょう。つまり冬と夏、あるいは陰と陽(両心)の間にあるのです。だから二葉あるのです。つけたしておくと植物の発芽も双葉ですよね。

第四十二難

四十二難曰:人腸胃長短、受水穀多少各幾何?

然。胃大一尺五寸、径五寸、長二尺六寸、横屈、受水穀三斗五升、其中常留穀二斗、水一斗五升。
小腸大二寸半、径八分分之少半、長三丈二尺、受穀二斗四升、水六升三合合之大半。
回腸大四寸、径一寸半、長二丈一尺、受穀一斗、水七升半。
広腸大八寸、径二寸半、長二尺八寸、受穀九升三合、八分合之一。
故腸胃、凡長五丈八尺四寸、合受水穀八斗七升六合八分合之一、此腸胃長短、受水穀之数也。

肝重二斤四両、左三葉、右四葉、凡七葉、主蔵魂。 心重十二両、中有七孔三毛、盛精汁三合、主蔵神。 脾重二斤三両、扁広三寸、長五寸、有散膏半斤、主裏血、温五臓、主蔵意。 肺重三斤三両、六葉両耳、凡八葉、主蔵魄。 腎有両枚、重一斤一両、主蔵志。 胆在肝之短葉間、重三両三銖、盛精汁三合。 胃重二斤一両、紆曲屈伸、長二尺六寸、大一尺五寸、径五寸、盛穀二斗、水一斗五升。 小腸重二斤十四両、長三丈二尺、広二寸半、径八分分之少半、左回疊積十六曲、盛穀二斗四升、水六升三合合之大半。 大腸重二斤十二両、長二丈一尺、広四寸、径一寸、当臍右、回十六曲、盛穀一斗、水七升半。 膀胱重九両二銖、縱広九寸、盛溺九升七合。 口広二寸半、唇至歯、長九分。歯以後至会厭、深三寸半。大容五合。 舌重十両、長七寸、広二寸半。 咽門重十二両、広二寸半、至胃長一尺六寸。 喉嚨重十二両、広二寸、長一尺二寸、九節。 肛門重十二両、大八寸、径二寸大半、長二尺八寸、受穀九升三合、八分合之一。

翻訳文

四十二難曰く:人の胃腸の長さや、飲食物を受け入れる量は、どのくらいのものですか?

それは~。胃の周囲一尺五寸。直径五寸。長さ二尺六寸。横に曲がった胃は、満杯にすると飲食物が三斗五升入ります。その内訳は、食物が二斗と水分が一斗五升になります。 小腸の周囲は二寸半。直径八分と①1/3分。長さ三丈二尺。食物は二斗四升、水分は六升三合と②2/3合入ります。 ③回腸の周囲四寸。直径一寸半。長さ二丈一尺。食物は一斗、水分は七升半入ります。 ④広腸の周囲八寸。直径二寸半。長さ二尺八寸。飲食物は九升三合と1/8合入ります。 故に胃腸の長さの合計は、五丈八尺四寸。飲食物の収容量は八斗七升六合1/8合です。以上が、胃腸の長さと、飲食物の収容量です。

①少半=1/3  ②大半=2/3  ③④については、現代解剖学にあてはめると、回腸は大腸、広腸はS字結腸と直腸、という解釈の仕方もありますが、ここでは敢えて原文のままとしました。

肝は重さ二斤四両。左三葉、右四葉、合計七葉に分かれます。精神活動では、魂を主ります。 心は重さ十二両。その中には⑤七孔三毛があり、拡張した時に、栄血が三合入ります。精神活動では、神を主ります。 脾は重さ二斤三両。横幅が三寸、長さ五寸、脂肪組織のようなもの(膵臓?)が半斤あります。脾は血を包み込んで漏らさず(統血作用)、五臓を温め栄養します。精神活動では、意を主ります。 肺は重さ三斤三両。六葉と二つの耳で、八葉に分かれます。精神活動では、魄を主ります。 腎は二つあり、一つが重さ一斤一両。精神活動では、志を主ります。 胆は肝葉と肝葉の間にあります。重さ三両と⑥1/8両。満杯にすると胆汁が三合入ります。 胃は重さ二斤一両。湾曲部の長さ二尺六寸、周囲一尺五寸、直径五寸。収容量は食物二斗、水分一斗五升。 小腸は重さ二斤十四両。長さ三丈二尺。周囲二寸半。直径八分と1/3分。左に十六回曲がりくねって積み重なっています。収容量は食物二斗四升、水分六升三合と2/3合。 大腸は重さ二斤十二両。長さ二丈一尺。周囲四寸。直径一寸。臍下で、右に十六回曲がりくねっています。収容量は食物一斗、水分七升半。 膀胱は重さ九両と1/12両。縦幅九寸。尿が九升九合入ります。 口は横幅二寸半。唇から歯まで九分。歯から喉頭蓋まで三寸半。口中に五合入ります。 舌は重さ十両。長さ七寸。幅二寸半。 食道は重さ十二両。周囲二寸半。胃に至るまでの長さ一尺六寸。 気管の重さ十二両。周囲二寸。長さ一尺二寸。九つの節(気管支軟骨)がある。 肛門は重さ十二両。周囲八寸。直径二寸と2/3寸。長さ二尺八寸。大便が九升三合と1/8合入ります。

⑤七孔三毛とは、心臓に使われる古代の慣用句でその由来は、はっきりしません。そういえば日本では「心臓に毛が生えている」って言葉がありますね。 ⑥二十四銖で一両

*本編では古代解剖学の知識が述べられています。ここでの長さ、重さ、容積等は、現代解剖学と比較しても近似しており、古代中国医学でも、解剖の領域が発達していたことがうかがわれます。ただし古代と現代では、度量衡が異なり、また古代においては、度量衡の統一が行われておらず、時代や場所によって基準が異なるという面があり、慎重に考察しなければなりません。

第四十三難

四十三難曰:人不食飮、七日而死者、何也?

然。人胃中、常有留穀二斗、水一斗五升。故平人日再至圊、一行二升半、日中五升、七日五七三斗五升而水穀尽矣。故平人不食飮七日而死者、水穀津液倶尽、即死矣。

翻訳文

四十三難曰く:人は、飲まず食わずの生活を、七日間続けると死にますが、どうしてですか?

それは~。人の胃の中には、常に食物が二斗、水分が一斗五升残留しています。健康人は一日二回排便をします。一回の量が二升半、一日で五升です。七日間で5×7=三斗五升になり、胃の中の飲食物はすべて排泄されます。つまり健康人といえども、飲まず食わずだと七日目に亡くなるのは、水穀、津液が尽きてしまったから死ぬのです。

第四十四難

四十四難曰:七衝門、何在?

然。唇為飛門、歯為戸門、会厭為吸門、胃為賁門、太倉下口為幽門、大腸小腸会為闌門、下極為魄門。故曰、七衝門也。

翻訳文

四十四難曰く:人体には七つの重要な出入口がありますが、どこですか?

それは~。唇を飛門、歯を戸門、喉頭蓋を吸門、胃の上口を賁門、胃の下口を幽門、大腸と小腸の境目を闌門、肛門を魄門といいます。以上が七衝門です。

第四十五難

四十五難曰:経言八会者、何也?

然。腑会太倉、臓会季脇、筋会陽陵泉、髓会絶骨、血会鬲兪、骨会大杼、脈会太淵、気会三焦(外一筋、直両乳内也)。熱病在内者、取其会之気穴也。

翻訳文

四十五難曰く:内経にある八会とは、何ですか?

それは~。腑会は中脘穴、臓会は章門穴、筋会は陽陵泉穴、髓会は※陽輔穴、血会は膈兪穴、骨会は大杼穴、脈会は太淵穴、気会は膻中穴(左右乳頭の間にある任脈)。内熱の病には、これら八会穴を取って治療します。

※絶骨は陽輔穴とされているが、現在では懸鍾穴でもよい。ちょうど丹田が石門穴でも関元穴でもよいのと一緒。

第四十六難

四十六難曰:老人臥而不寐、少壮寐而不寤者。何也?

然。経言、少壮者、血気盛、肌肉滑、気道通、栄衛之行不失於常。故昼日精、夜不寤也。老人、血気衰、肌肉不滑、栄衛之道渋。故昼日不能精、夜不得寐也。故知老人、不得寐也。

翻訳文

四十六難曰く:老人は横になっても、眠れないのに、少年~壮年の人は、眠ると目が覚めません。どうしてですか?

それは~。少年~壮年の人は、血気盛んで、肌つやも良く、陰陽の気が良く通じ、栄気、衛気の循環も正常です。だから日中は精力的で、夜もよく眠れます。老人は血気衰え、肌つやも悪く、栄気、衛気の循環は渋滞しています。だから日中は元気がなく、夜もよく眠れません。これが、老人が眠れない理由です。

第四十七難

四十七難曰:人面、独能耐寒者、何也?

然。人頭者、諸陽之会也。諸陰脈、皆至頸胸中而還。独諸陽脈、皆上至頭耳。故令面耐寒也。

翻訳文

四十七難曰く:人体のうち顏だけが、寒さによく耐えるのは、なぜですか?

それは~。人の頭部は諸陽の集まる所です。手足の三陰経はすべて頚部か、胸中までしか来てませんが、手足の三陽経だけが頭面部まで上ってきています。だから顏は寒さによく耐えるのです。

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