ほのしん講座

難経・解読
脈学篇

このページでは全六篇で構成される難経の第一篇、脈学(一難〜二十二難)の原文と翻訳を掲載しています。
翻訳・解説した人
中野 保
二天堂鍼灸院 院長
行岡鍼灸専門学校卒業後に北京堂鍼灸・浅野周先生に師事。2001年に独立し二天堂鍼灸院を開院。2007年に炎の鍼灸師・養成講座(現在のほのしん講座)を開校し、未来の鍼灸師の育成にも力を入れています。2018〜19年に 『医道の日本』誌に治療法連載。
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鍼治療の学術書を出版しました

『鍼治療の醍醐味を知れば誰だって鍼の虜(とりこ)になるはず!』
本書は鍼灸師向けに書いた鍼治療の専門書です。
私の行っている治療法を整理、体系化し、難しいことを可能な限りシンプルにわかりやすくまとめました。現役の鍼灸師はもちろんのこと、これから鍼灸師を目指している人、鍼灸治療のことをもっと知りたい人たちにも興味深く読んでいただける内容になっています。
★★大変お待たせしました。増刷が完了し再販いたします。2024/2/23 ★★

第一難

一難曰:十二経皆有動脈、独取寸口、以決五臓六腑死生吉凶之法、何謂也?

然。寸口者、脈之大会、手太陰之脈動也。人一呼脈行三寸、一吸脈行三寸、呼吸定息、脈行六寸。人一日一夜、凡一万三千五百息、脈行五十度、周於身、漏水下百刻。栄衛行陽二十五度、行陰亦二十五度、為一周也。故五十度復会於手太陰寸口者、五臓六腑之所終始、故法取於寸口也。

翻訳文

一難曰く:十二経にはすべて動脈があるのに、寸口だけの脈を診て、五臓六腑の状態を把握するというのは、どういうことですか?

それは~。寸口は脈の大会する所であり、手の太陰肺経の脈打つ所だからです。人の脈は一呼吸の内に、一回吐けば三寸、一回吸えば三寸、合わせて六寸進みます。人は一昼夜の内におよそ一万三千五百回呼吸し、これでいくと脈は全身を五十回巡るということになり、その時間は水時計が百目盛り刻む間(今の24時間)であります。気血(栄衛)が陽経と陰経をそれぞれ二十五回ずつ巡り、一周となるのです。そしてその合計五十回にて手の太陰肺経の寸口に脈は戻るのです。つまり寸口は五臓六腑の脈が終始する所であり、その脈を診れば診断ができるのです。

第二難

二難曰:有尺寸、何謂也?

然。尺寸者、脈之大要会也。従関至尺、是尺内、陰之所治也。従関至魚際、是寸口内、陽之所治也。故分寸為尺、分尺為寸。故陰得尺内一寸、陽得寸内九分。尺寸終始一寸九分、故曰尺寸也。

翻訳文

二難曰く:脈に尺寸(寸関尺)があるとは、どういうことですか?

それは~。尺寸(寸関尺)は十二経脈が集まる部位です。関より尺までを尺中とし、ここは陰気を管理する脈となります。関より魚際までを寸口とし、ここは陽気を管理する脈となります。つまり関を境とし、尺中と寸口に分けます。だから陰は尺中の一寸で得られ、陽は寸口の九分で得られます。 あわせて尺寸は全体で一寸九分となり、これが寸関尺なのです。

第三難

三難曰:脈有太過有不及、有陰陽相乗、有復有溢、有関有格、何謂也?

然。関之前者、陽之動也、脈当見九分而浮。過者法曰太過、減者法曰不及。遂上魚為溢、為外関内格、此陰乗之脈也。関以後者、陰之動也、脈当見一寸而沈。過者法曰太過、減者法曰不及。遂入尺為覆、為内関外格、此陽乗之脈也。故曰覆溢。是其真臓之脈、人不病而死也。

翻訳文

三難曰く:脈の状態には大過、不及、陰陽相乗、覆、溢、関、格などがありますが、これはどういう脈なのでしょうか?

それは~。関の前(つまり寸口)が陽気の拍動する脈であり、この九分の部位に浮いてあらわれます。この脈が九分より長いものを大過といい、短いものを不及といいます。更に脈が魚際まで伸びたものを溢といいますが、これは陽気を外に追い出して陰気が体内を占領したもので、陰気の乗じた脈です。 関の後(つまり尺中)が陰気の拍動する脈であり、この一寸の部位に沈んであらわれます。この脈が一寸より長いものを大過といい、短いものを不及といいます。更に尺沢まで伸びたものを覆といいますが、これは陰気を外に追い出して陽気が体内を占領したもので、陽気の乗じた脈です。 だから、覆とか溢の脈は五臓の気が尽きた脈であり、たとえ病症があらわれてなくてもコロッと死んだりするのです。

第四難

四難曰:脈有陰陽之法何謂也?

然。呼出心興肺、吸入腎興肝。呼吸之間、脾受穀味也、其脈在中。浮者陽也、沈者陰也、故曰陰陽也。 心肺倶浮、何以別之? 然。浮而大散者心也、浮而短渋者肺也。 腎肝倶沈、何以別之? 然。牢而長者肝也、按之濡、挙指来実者腎也。脾者中州、故其脈在中、是陰陽之法也。 脈有一陰一陽、一陰二陽、一陰三陽、有一陽一陰、一陽二陰、一陽三陰、如此之言、寸口有六脈倶動邪? 然。此言者、非有六脈倶動、謂浮、沈、長、短、滑、渋也。浮者陽也、滑者陽也、長者陽也。沈者陰也、短者陰也、渋者陰也。所謂一陰一陽者、謂脈来沈而滑也。一陰二陽者、謂脈来沈滑而長也。一陰三陽者、謂脈来浮滑而長、時一沈也。所言一陽一陰者、謂脈来浮而渋也。一陽二陰者、謂脈来長而沈渋也。一陽三陰者、謂脈来沈渋而短、時一浮也。各以其経所在、名病逆順也。

翻訳文

四難曰く:脈に陰陽の法則ありとは、どういうことですか?

それは~。吐く息は心肺が押し出し、吸う息は腎肝が引き入れ、その呼吸する臓器の間に位置し、脾は食物を消化します。だから脾の脈は中脈となります。浮脈では陽気(心肺の気)が盛んとなり、沈脈では陰気(腎肝の気)が盛んとなっています。だから脈に陰陽の法則ありというのです。 それでは心肺が共に浮脈であるならば、どうやってこれを区別するのですか? それは~。浮脈で大と散ならば心の脈で、浮脈で短と渋ならば肺の脈です。 腎肝の沈脈についても教えてください。 わかりました牢で長がまじるものが肝の脈です。指を沈めて濡、少し挙げて実ならば腎の脈だよ。ついでに云うと脾は中央にあるから、脈も浮と沈の間に感じ取られます。(これが胃の気の脈っていうやつですな)これにて脈の陰陽の法則できあがり。 脈に一陰一陽、一陰二陽、一陰三陽、更に一陽一陰、一陽二陰、一陽三陰があるといいますが、これら六つの脈が寸口に同時にあらわれるなんてことがあるのですか? 何を寝ぼけたことをいってんだお前は!それは六つの脈が同時にあらわれるってことではなく、浮・沈・長・短・滑・渋の脈状のことをいっているのだ。浮・滑・長は陽の脈で、沈・短・渋は陰の脈。一陰一陽は、沈で滑の脈状のこと。一陰二陽は沈で滑・長の脈状、一陰三陽は浮・滑・長でありながら時に一沈。一陽一陰は浮で渋、一陽二陰は長で沈・渋、一陽三陰は沈・渋・短でありながら時に一浮といった脈状の組み合わせの例が考えられます。そしてこれらの脈状を診て、病気の状態を把握するのです。

第五難

五難曰:脈有軽重、何謂也?

然。初持脈如三菽之重、与皮毛相得者、肺部也。如六菽之重、与血脈相得者、心部也。如九菽之重、与肌肉相得者、脾部也。如十二菽之重、与筋平者、肝部也。按之至骨、挙指来疾者、腎部也。故曰軽重也。

翻訳文

五難曰く:脈診する時の力加減はどうすればいいのですか?

それは~。豆の重さに例えるならば、最初は三粒のタッチで皮毛を司る肺の脈をうかがいます。次に六粒のタッチで血脈を司る心の脈をうかがいます。次に九粒のタッチで肌肉をつかさどる脾の脈をうかがいます。次に十二粒のタッチで筋をつかさどる肝の脈をうかがいます。最後に骨にあたり、脈が消えた状態から少し浮かして感じとれる脈が腎の脈です。つまり五つの力加減があるのです。

第六難

六難曰:脈有陰盛陽虚、陽盛陰虚、何謂也?

然。浮之損小、沈之実大、故曰陰盛陽虚。沈之損小、浮之実大、故曰陽盛陰虚。是陰陽虚実之意也。

翻訳文

六難曰く:脈に陰盛陽虚と陽盛陰虚とがあるとは、どういうことでしょうか?

それは~。脈診において浮かせると弱く、沈めると強く触れる脈は、陰気盛んで陽気が虚した脈です。沈めると弱く、浮かせると強く触れる脈は、陽気盛んで陰気が虚した脈です。これで脈の陰陽虚実をはかるのです。

第七難

七難曰:経言少陽之至、乍大乍少、乍短乍長。陽明之至、浮大而短。太陽之至、洪大而長。太陰之至、緊大而長。少陰之至、緊細而微。厥陰之至、沈短而敦。此六者是平脈邪?将病脈邪?

然。皆王脈也。

其気以何月、各王幾日?

然。冬至之後、得甲子少陽王、復得甲子陽明王、復得甲子太陽王、復得甲子太陰王、復得甲子少陰王、復得甲子厥陰王。王各六十日、六六三百六十日、以成一歳、此三陽三陰之王時日大要也。

翻訳文

七難曰く:脈状について、少陽の脈は大から小、短から長とにわかに変化する。陽明の脈は浮・大にして短。太陽の脈は洪・大にして長。太陰の脈は緊・大にして長。少陰の脈は緊・細にして微。厥陰の脈は沈・短にして敦(深い)。これら六種は健康な脈ですか?それとも病気の脈なのでしょうか?

それらは、すべて旺盛な脈です。

それでは経脈の気は何月何日に旺盛となるのですか?

それは~。冬至(12月22日)より60日間隔で少陽→陽明→太陽→太陰→少陰→厥陰と気のピークを迎えます。各経気盛んになるのが60日ごと、60日×6=360日で一年ですね。この三陽三陰の気が旺盛となる時日を押さえておくことがとても重要なのです。

第八難

八難曰:寸口脈平而死者、何謂也?

然。諸十二経脈者、皆繋於生気之原。所謂生気之原者、謂十二経之根本也、謂腎間動気也。此五臓六腑之本、十二経脈之根、吸呼之門、三焦之原、一名守邪之神。故気者人之根本也,根絶則茎葉枯矣。寸口脈平而死者、生気独絶於内也。

翻訳文

八難曰く:寸口(寸関尺)の脈が平脈なのに死ぬ人がいます、なぜですか?

それは~。それぞれの十二経脈は、すべて生気の源に繋がっています。生気の源とは、十二経脈の根本であり、腎間の動気のことです。この五臓六腑の源は、十二経脈の根であり、呼吸する門(腎の納気作用)であり、三焦の源であって、からだを邪気から守る神と呼ばれています。だから気は人間の根本であり、もしもその根が絶たれれば茎葉(生命)は枯れてしまうでしょう。つまり寸口の脈が平脈でも亡くなってしまう人は、すでにからだの中から生気が失せてしまっているのです。

第九難

九難曰:何以別知臓腑之病邪?

然。数者腑也、遅者臓也。数則為熱、遅則為寒。諸陽為熱、諸陰為寒。故以別知臓腑之病也。

翻訳文

九難曰く:どうやって臓腑の病を鑑別するのですか?

それは~。脈診において数脈ならば腑の病であり、遅脈ならば臓の病です。数脈は熱の脈で、遅脈は寒の脈です。陽経には熱証があらわれやすく、陰経には寒証があらわれやすい。こうして臓腑の病を鑑別するのです。

第十難

十難曰:一脈為十変者、何謂也?

然。五邪剛柔、相逢之意也。仮令心脈急甚者、肝邪干心也。心脈微急者、胆邪干小腸也。心脈大甚者、心邪自干心也。心脈微大者、小腸邪自干小腸也。心脈緩甚者、脾邪干心也。心脈微緩者、胃邪干小腸也。心脈渋甚者、肺邪干心也。心脈微渋者、大腸邪干小腸也。心脈沈甚者、腎邪干心也。心脈微沈者、膀胱邪干小腸也。五臓各有剛柔邪、故令一脈輙変為十也。

翻訳文

十難曰く:一つの脈の脈状が10パターンに変化するとは、どういうことですか?

それは~。五邪(五臓五腑の病邪)が臓腑の表裏を犯すことにより、様々に変化します。心脈(左寸口部)を例にあげてみましょう。左寸口が明らかに弦脈ならば肝の病邪が心を犯しており、わずかに弦脈ならば胆の病邪が小腸を犯しています。また明らかに洪脈ならば心の病邪が自らを犯しており、わずかに洪脈ならば小腸の病邪が自らを犯しています。また明らかに緩脈ならば脾の病邪が心を犯しており、わずかに緩脈ならば胃の病邪が小腸を犯しています。また明らかに渋脈ならば肺の病邪が心を犯しており、わずかに渋脈ならば大腸の病邪が小腸を犯しています。また明らかに沈脈ならば腎の病邪が心を犯しており、わずかに沈脈ならば膀胱の病邪が小腸を犯しています。このように五臓の表裏関係によって、一つの脈にも五臓五腑で、10パターンの脈状があらわれるという訳です。

第十一難

十一難曰:経言脈不満五十動而一止、一臓無気者、何臓也?

然。人吸者随陰入、呼者因陽出、今吸不能至腎、至肝而還、故知一臓無気者、腎気先尽也。

翻訳文

十一難曰く:内経には「脈が50拍打たないうちに1拍止まる代脈(不整脈)は、一臓の気が失せたものだ」と書いてありました、これはどの臓のことですか?

それは~。人の呼吸において、吸気は陰(腎肝)の働きによって行われ、呼気は陽(心肺)の働きによって行われています。時に吸気が腎にまで到らず、肝で還ってしまうことがあります。つまり一臓の気が失せたものとは、腎気(納気)が尽きたことをいっているのです。

第十二難

十二難曰:経言五臓脈已絶於内、用鍼者反実其外。五臓脈已絶於外、用鍼者反実其内。内外之絶、何以別之?

然。五臓脈已絶於内者、腎肝気已絶於内也、而医反補其心肺。五臓脈已絶於外者、其心肺脈已絶於外也、而医反補其腎肝。陽絶補陰、陰絶補陽、是謂実実虚虚、損不足益有余。如此死者、医殺之耳。

翻訳文

十二難曰く:内経には「五臓の脈が既に内で絶えているのに、鍼医が外を実にする。また五臓の脈が既に外で絶えているのに、鍼医が内を実にする」とあります。これは内と外の虚を、どうやって別けて考えているのですか?

それは~。五臓の脈状が内で絶えている場合、腎肝の気が虚している訳です。しかるにへぼは心肺を補ったりする。五臓の脈状が外で絶えている場合、心肺の気が虚している訳です。しかるにへぼは腎肝を補ったりする。陽虚なのに陰を補い、陰虚なのに陽を補うようでは、これ実を更に実しめ、虚を更に虚させることになり、つまりは不足を更に損じ、有余を更にあふれさせる愚行である。これで死んだら、鍼医が殺したと言われても仕方がない。

第十三難

十三難曰:経言見其色而不得其脈、反得相勝之脈者、即死。得相生之脈者、病即自已。色之与脈、当参相応、為之奈何?

然。五臓有五色、皆見於面、亦当与寸口尺内相応。仮令色青其脈当弦而急、色赤其脈浮大而散、色黄其脈中緩而大、色白其脈浮渋而短、色黒其脈沈濡而滑、此所謂五色之与脈当参相応也。脈数、尺之皮膚亦数。脈急、尺之皮膚亦急。脈緩、尺之皮膚亦緩。脈渋、尺之皮膚亦渋。脈滑、尺之皮膚亦滑。 五臓各有声色臭味、当与寸口尺内相応、其不応者病也。仮令色青其脈浮渋而短、若大而緩為相勝。浮大而散、若小而滑為相生也。 経言知一為下工、知二為中工、知三為上工。上工者十全九、中工者十全八、下工者十全六、此之謂也。

翻訳文

十三難曰く:内経には「その色を見てもその脈を得ず、反って相勝の脈を得るものは死ぬとあり、相生の脈を得るものは治癒する」とあります。色と脈とが対応するとは、どういうことですか?

それは~。五臓には五色があり、すべては顔色でうかがえます。また寸口(寸関尺)は、前腕掌側(寸口~尺内)と対応しています。例えば顔色が青い場合、脈状は弦・急です。顔色が赤い場合、脈状は浮・大・散です。顔色が黄色の場合、脈状は中・緩・大です。顔色が白い場合、脈状は浮・渋・短です。顔色が黒い場合、脈状は沈・濡・滑です。つまり五色に相応する脈状があるということです。また、数脈では尺部(前腕掌側部全体)の皮膚が熱をおびています。急脈では尺部の皮膚が緊張しています。緩脈では尺部の皮膚が弛緩しています。渋脈では尺部の皮膚がざらざらしています。滑脈では尺部の皮膚が潤っています。〔霊枢:論疾診尺第七十四を参考〕 ほかにも五臓には五声・五色・五臭・五味などがあり、やはり寸口の脈や尺部と対応し、合致しないものは病気と診断できます。例えば顔色が青い(肝の証)のに脈状が浮・渋・短(肺の証)であったり、大・緩(脾の証)であるものは相勝(木に金や土の相克脈があらわれている)で、浮・大・散(心の証)であったり、小・滑(腎の証)であるものは相生(木に火や水の相生脈があらわれている)です。 内経にはこれら診察の情報収集について、一つしか使えない者を下工、二つしか使えない者を中工、三つ以上使えるものを上工と呼んでおり、上工は10人の患者のうち9人までを治せ、中工は8人治せ、下工は6人治せるとあります。

第十四難

十四難曰:脈有損、至、何謂也?

然。至之脈一呼再至曰平、三至曰離経、四至曰奪精、五至曰死、六至曰命絶、此至之脈也。

何謂損?

一呼一至曰離経、再呼一至曰奪精、三呼一至曰死、四呼一至曰命絶、此損之脈也。至脈従下上、損脈従上下也

損脈之為病奈何?

然。一損損於皮毛、皮聚而毛落。二損損於血脈、血脈虚少不能栄於五臓六腑。三損損於肌肉、肌肉消痩、飲食不能為肌膚。四損損於筋、筋緩不能自収持。五損損於骨、骨痿不能起於牀。反此者至於収病也。従上下者、骨痿不能起於牀者死。従下上者、皮聚而毛落者死。

治損之法奈何?

然。損其肺者益其気。損其心者調其栄衛。損其脾者調其飲食、適其寒温。損其肝者緩其中。損其腎者益其精。此治損之法也。

脈有一呼再至、一吸再至。有一呼三至、一吸三至。有一呼四至、一吸四至。有一呼五至、一吸五至。有一呼六至、一吸六至。有一呼一至、一吸一至。有再呼一至。再吸一至。有呼吸再至。脈来如此、何以別知其病也?

然。脈来一呼再至、一吸再至、不大不少、曰平。一呼三至、一吸三至、為適得病。前大後小、即頭痛、目眩。前小後大、即胸満、短気。一呼四至、一吸四至、病欲甚。脈洪大者苦煩満、沈細者腹中痛、滑者傷熱、渋者中霧露。一呼五至、一吸五至、其人当困、沈細夜加、浮大昼加。不大不小、雖困可治。其有小大者為難治。一呼六至、一吸六至、為死脈也。沈細夜死、浮大昼死。 一呼一至、一吸一至、名曰損、人雖能行、猶当著牀。所以然者、血気皆不足故也。再呼一至、再吸一至、呼吸再至、名曰無魂、無魂者、当死也。人雖能行、名曰行尸。 上部有脈、下部無脈、其人当吐、不吐者死。上部無脈、下部有脈、雖困無能為害。所以然者、譬如人之有尺、樹之有根、枝葉雖枯槁、根本将自生。脈有根本、人有元気、故知不死。

翻訳文

十四難曰く:脈には損脈と、至脈がありますが、これはどういった脈ですか?

それは~。【呼気:脈拍】の比率が1:2ならば健康人の脈、1:3ならば少し異常、1:4ならば心身ともに消耗しており、1:5ならば瀕死の状態、そして1:6ならば死にます。これが至脈、つまり一呼気あたりの脈が正常より多いものです。

損脈についても教えてください?

【呼気:脈拍】の比率が1:1ならば少し異常、2:1ならば心身消耗、3:1ならば瀕死、4:1ならば死亡です。これが損脈、つまり一呼吸あたりの脈拍が正常より少ないものです。至脈の病は腎から肺へと病邪が進行したもので、損脈の病は肺から腎へと病邪が進行したものです。

それでは損脈の病証にはどのようなものがありますか?

それは~。損脈の病証の第一期は肺の病であり、皮膚に皺がより、脱毛します。第二期は心の病であり、循環機能が落ちて五臓六腑に栄養が行き渡りません。第三期は脾の病であり、痩せ細り、飲食しても肉がつきません。第四期は肝の病であり、筋肉が弛緩して力が入りません。第五期は腎の病であり、骨が弱ってベッドから起き上がれません。これとは逆に進行していくものが至脈の病証です。損脈の場合(肺→腎)、骨が弱ってベッドから起き上がれなくなると最期です。至脈の場合(腎→肺)、皮膚に皺がより、脱毛すると最期です。

損脈の病証の治療法を教えてください。

それは~。肺の病証では宗気を補い、心の病証では気血(栄衛)を調え、脾の病証では飲食を摂生し、併せて季節の寒暖に応じた食事や生活をすることです。肝の病証では甘いものを食してストレスを和らげ、腎の病証では精気を補います。これが損脈の治療法です。

脈には一呼吸に4拍打つもの、6拍打つもの、8拍打つもの、10拍打つもの、12拍打つものがあります。また一呼吸で2拍、二呼吸で2拍しか打たない脈もあります。これらの脈から病証をどのように鑑別すればよいのですか?

そうですね。一呼吸で4拍、脈状に大・小がなければ健康人です。一呼吸で6拍は発病したての脈です。更に寸口が大、尺中が小の脈は頭痛と目眩がします。寸小、尺大ならば胸がつかえ、息が荒くなります。一呼吸で8拍は病状が進行した脈です。更に洪・大の脈状があれば煩躁し、悶えます。沈・細ならばお腹が痛み、滑ならば熱に傷られ、渋ならば湿邪に中った状態です。一呼吸に10拍は病が相当重く、更に沈・細ならば夜に症状が悪化し、浮・大ならば昼に悪化します。しかし脈状に大・小がなければ重篤といえども治癒します。もし大・小があれば治癒は難しいでしょう。一呼吸に12拍は死脈です。沈・細ならば夜に、浮・大ならば昼間に亡くなるでしょう。 一呼吸2拍の脈を損といいます。病人はしばらくの間は動き回れますが、やがてはベッドに伏せ、起き上がれなくなるでしょう。なぜかというと、気血共に不足しているからです。二呼吸2拍の脈を無魂といいます。無魂は死期間近です。活動していても、生ける屍です。 寸口に脈があり、尺中に脈のない人は、嘔吐するのが当然ですが、もし嘔吐しなければ死にます。寸口に脈がなく、尺中に脈がある人は、重篤であっても害はありません。尺中に脈ある人は、木の根があるようなもので、枝葉が枯れていようとも、根っこは生きているのです。つまり尺中に脈あれば、その人の元気はまだ絶えておらず、死ぬことはないのです。

第十五難

十五難曰:経言春弦脈、夏脈鉤、秋脈毛、冬脈石、是王脈耶?将病脈也?

然。弦、鉤、毛、石者、四時之脈也。春脈弦者、肝東方木也、万物始生、未有枝葉、故其脈之来、濡弱而長、故曰弦。夏脈鉤者、心南方火也、万物之所茂、垂枝布葉、皆下曲如鉤、故其脈之来、疾去遅、故曰鉤脈。秋脈毛者、肺西方金也、万物之所終、草木華葉、皆秋而落、其枝獨在、若毫毛也、故其脈之来、軽虚以浮、故曰毛。冬脈石者、腎北方水也、万物之所蔵也、盛冬之時、水凝如石、故其脈之来、沈濡而滑、故曰石。此四時之脈也。

如有変奈何?

然。春脈弦、反者為病。

何謂反?

然。其気来実強、是為太過、病在外。気来虚微、是為不及、病在内。気来厭厭聶聶、如循楡葉、曰平。益実而滑、如循長竿、曰病。急而勁益強、如新張弓弦、曰死。春脈微弦、曰平。弦多胃気少、曰病。但弦無胃気、曰死。春以胃気為本。

夏脈鉤。反者為病。
何謂反?

然。其気来実強、是謂太過、病在外。気来虚微、是謂不及、病在内。其脈来累累如環、如循琅玕、曰平。来而益数、如雞挙足者、曰病。前曲後居、如操帯鉤、曰死。夏脈微鉤、曰平。鉤多胃気少、曰病。但鉤無胃気、曰死。夏以胃気為本。

秋脈毛、反者為病。
何謂反?

然。其気来実強、是謂太過、病在外。気来虚微、是謂不及、病在内。其脈来藹藹如車蓋、按之益大、曰平。不上不下、如循雞羽、曰病。按之蕭索、如風吹毛、曰死。秋脈微毛、曰平。毛多胃気少、曰病。但毛無胃気、曰死。秋以胃気為本。

冬脈石、反者為病。
何謂反?

然。其気来実強、是謂太過、病在外。気来虚微、是謂不及、病在内。脈来上大下兌、濡滑如雀之啄、曰平。啄啄連属、其中微曲、曰病。来如解索、去如弾石、曰死。冬脈微石、曰平。石多胃気少、曰病。但石無胃気、曰死。冬以胃気為本。
胃者水穀之海、主稟。四時、皆以胃気為本。是謂四時之変病、死生之要会也。脾者、中洲也。其平和不可得見、衰及見耳。来如雀之啄、如水之下漏、是脾衰見也。

翻訳文

十五難曰く:内経には「春の脈は弦、夏の脈は鉤、秋の脈は毛、冬の脈は石」とありますが、これは旺盛な脈(気が満ちる時の健康な脈)なのでしょうか?それとも病の脈なのでしょうか?

それは~。弦・鉤・毛・石は四季によって変化する脈状です。春脈の弦とは肝の脈状で、五行の属性では東方の木にあたります。春は万物が芽吹く時で、まだ枝葉まではついていません。だから、その脈は軟弱にして長い弦脈となるのです。夏脈の鉤とは心の脈状で、南方の火にあたります。夏は万物が生い茂り、枝葉も伸張し、垂れ下がって鉤のようです。だからその脈は来る時は速く、去る時は遅い鉤脈となるのです。秋脈の毛とは肺の脈状で、西方の金にあたります。秋は万物の終焉で、草木の花や葉はすべて枯れ落ちて、枝だけが残り、まるで剛毛のようです。だからその脈は軽虚にして浮の毛脈となるのです。冬脈の石とは腎の脈状で、北方の水にあたります。冬は万物が精を内へと貯め込みます。真冬になると水は凍って石のようになります。だからその脈は沈軟にして滑の石脈となるのです。これが四季による脈状の変化です。

四季の脈に病変があれば、どうなるのですか?

それは~。春脈は弦ですから、それに反する脈ならば病です。

反する脈とは?

それは~。脈気が実・強ならば太過といい、病は外にあります(外邪が体表にある)。虚・微ならば不及といい、病は内にあります(内腑が虚している)。脈が厭厭聶聶(軽浮和緩)で、あたかも風にそよぐ楡(にれ)の葉に触れているようであれば、健康です。その脈が実・滑へと傾倒し、あたかも長い竿のようになれば、病気です。更に引きつって力強く、新しく張った弓の弦のようになれば、死にます。春の脈はかすかに弦が感じ取れる程度が良いのです。弦脈が多くて胃気の脈が少ないものは病気です。ただ弦脈ばかりがあって胃気の脈が失せたものは、死にます。つまり春の脈に胃の気があるかどうかがポイントです。

夏脈は鉤ですから、それに反する脈は病気です。
反する脈状とは?

それは~。脈気が実・強ならば太過といい、病は外にあります。虚・微ならば不及といい、病は内にあります。脈が連続して切れ目のない輪のようで、玉石に触れているような感触があれば健康です。その脈の来かたが数(速い)へと傾倒し、鶏が走るように打てば病気です。※脈の来かたが速くて、去りかたが遅く、脈の堅く真っ直ぐな状態が続いたあと急に落ち込み、あたかも革帯の曲がった金具に触れているようであれば、死にます。夏の脈もかすかに鉤が感じ取れる程度が良いのです。鉤脈が多くて胃気の脈が少ないものは病気です。ただ鉤脈ばかりあって胃気の脈が失せたものは、死にます。つまり夏の脈に胃の気があるかどうかがポイントです。
 
※この部分は清大椿『難経経釈』には「王冰は、居は動かないことという。帯鈎は曲がって堅いこと」とある。丹波元胤『難経疏証』は「後居とは、後ろが真っ直ぐを言う。革帯の鈎のように、前が曲がって後ろは真っ直ぐ。つまり鈎ではあっても胃気がない。操は執である。手で革帯を持つように、前は鈎のように曲がって力がなく、後は居。居は倨で、動かず、力がある。だから死ぬ」という。『難経語訳』には「脈が来るときは湾曲し、去るときは鋸のように力強い。前後とは脈の去来である。居は力強く、わずかに曲がる鋸のよう。操は持つこと」とある。『難経語訳』には「諸病源候論の心病候では、居を倨とし、居は倨の借字としている。強くてわずかに曲がり、鋸のようだということ。爾雅の釈畜には、駮如馬、倨牙食虎豹とあり、邢疏は、其牙倨曲、而食虎豹也という。また郝疏は、易の説卦の乾を引用し、孔疏は、倨牙如鋸であり、前後は脈の去来である。操は執。この句は、脈が来るときは屈曲し、去るときは力強くてわずかに曲がっているので、ちょうど帯留めの金具に触れているようだ」とある。

秋脈は毛ですから、それに反する脈は病気です。
反する脈状とは?

それは~。脈気が実・強ならば太過といい、病は外にあります。虚・微ならば不及といい、病は内にあります。脈を浮かすと車の幌のようにフワフワと触れ、沈めると大、これが健康な脈です。脈を浮かせても沈めても同じで、羽毛に触れるがごときは病気です。按じても手応えがなく、風に吹かれる毛のごとき脈は死脈です。秋の脈もかすかに毛が感じ取れる程度が良いのです。毛脈が多くて胃気の脈が少ないものは病気です。ただ毛脈ばかりあって胃気の脈が失せたものは、死にます。つまり秋の脈に胃の気があるかどうかがポイントです。

冬脈は石ですから、それに反する脈は病気です。
反する脈状とは?

それは~。脈気が実・強ならば太過といい、病は外にあります。虚・微ならば不及といい、病は内にあります。脈が来る時に大きくて、去る時は小さく(兌=鋭)、濡・滑で雀の啄ばむような脈ならば健康です。連続してチュンチュン啄ばむリズムの中に、一拍止まる(曲)不整脈があれば病気です。来る時は解けたロープ(散乱)のようであり、去る時が弾き飛ばされた石(迅速かつ堅硬)のようであれば死脈です。冬の脈もかすかに石が感じ取れる程度が良いのです。石脈が多くて胃気の脈が少ないものは病気です。ただ石脈ばかりあって胃気の脈が失せたものは、死にます。つまり冬の脈に胃の気があるかどうかがポイントです。

(まとめると)胃は水穀の海(飲食物を消化吸収する臓腑)で、人体に栄養を供給しています。すべての四季の脈には胃の気が根本にある。四季の脈状により病気の予後や死生を判断するには、胃の気の脈をうかがうことが必要不可欠です。脾は中州(人体の中央)にあって、その健康を知ることはできないが、衰えを知ることはできる。来かたが雀が啄ばんだり、水が漏れるがごとき脈であれば、脾が衰えた脈なのです。

第十六難

十六難曰:脈有三部九候、有陰陽、有軽重、有六十首、一脈変為四時、離聖久遠、各自是其法、何以別之?

然。是其病、有内外。

其病為之奈何?

然。仮令得肝脈、其外證、善潔、面青、善怒。其内證、臍左有動気、按之牢若痛。其病四肢満、閉淋溲便難、転筋。有是者肝也、無是者非也。 仮令得心脈、其外證、面赤、口乾、善笑。其内證、臍上有動気、按之牢若痛。其病煩心、心痛掌中熱而啘。有是者心也、無是者非也。 仮令得脾脈、其外證、面黄、善噫、善思、善味。其内證、当臍有動気、按之牢若痛。其病腹張満食不消、体重節痛、怠惰嗜臥、四肢不収。有是者脾也、無是者非也。 仮令得肺脈、其外證、面白、善嚏、悲愁不楽欲哭。其内證、臍右有動気、按之牢若痛。其病喘咳、洒淅寒熱。有是者肺也、無是者非也。 仮令得腎脈、其外證、面黒、善恐欠。其内證、臍下有動気、按之牢若痛。其病逆気、小腹急痛、泄如下重、足脛寒而逆。有是者腎也、無是者非也。

翻訳文

十六難曰く:脈診には三部九候診、陰陽弁別、脈圧の軽重、※六十首などの方法がある上、四季においても変化します。はるか昔に医聖が死んでしまったので、我々後学のものはそれら脈診の正否を、どのようにして判断すればいいのですか?

それは~。病気の内証と外証を照らし合わせて、その脈診が正しいか誤りかを判断すればいいのです。

病気の内証、外証にはどのようなものがあるのですか?

それは~。例えば肝脈の場合、その外証は、潔癖(神経質)で、顔色が青く、怒りっぽい。その内証は臍の左に拍動があり、按圧すると硬くもしくは痛みます。そのほか手足がだるく、尿閉、もしくは尿の出が悪い、便秘、筋肉が引き攣るなどの症状があります。これらの症状があれば肝病であり、なければ違います。 心脈の場合、その外証は、顔色が赤く、口乾き、よく笑う。その内証は臍の上に拍動があり、按圧すると硬くもしくは痛みます。そのほか胸が苦しい、心痛、掌の火照りとカラえずきあるいはシャックリなどの症状があります。これらの症状があれば心病であり、なければ違います。 脾脈の場合、その外証は顔色が黄色く、よくゲップをする、物思いにふけりがちで、偏食家が多い。その内証は臍部に拍動があり、按圧すると硬くもしくは痛みます。そのほか腹部の膨満感、消化不良、体が重く節々が痛い、体がだるくすぐ横になりたがる、手足の運動がままならないなどの症状があります。これらの症状があれば脾病であり、なければ違います。 肺脈の場合、その外証は顔色が白く、よくクシャミをする、悲しみ愁い塞ぎがちでメソメソした性格。その内証は臍の右に拍動があり、按圧すると硬くもしくは痛みます。そのほか喘息、咳、寒がり、悪寒、発熱などの症状があります。これらの症状があれば肺病であり、なければ違います。 腎病の場合、その外証は顔色が黒く、恐がりで、よくアクビをする。その内証は臍の下に拍動があり、按圧すると硬くもしくは痛みます。そのほか喘ぎやすい、下腹部が引き攣って痛む、下痢して渋り腹、足や脛が冷えるなどの症状があります。これらの症状があれば腎病であり、なければ違います。

※『素問:方盛衰論』に「奇恒之勢」六十首とあり、王冰の解説では現存していないという。他には七難の六十日旺盛説、十難の一脈十変で、六部定位だから六十首などの説もある。

第十七難

十七難曰:経言病或有死、或有不治自愈、或連年月不已。其死生存亡、可切脈而知之耶?

然。可尽知也。診病若閉目不欲見人者、脈当得肝脈、強急而長、而反得肺脈浮短而渋者、死也。病若開目而喝、心下牢者、脈当得緊実而数、反得沈渋而微者、死也。病若吐血復鼽衂血者、脈当沈細、而反浮大而牢者、死也。病若譫言妄語、身当有熱、脈当洪大、而反手足厥逆、脈沈細而微者、死也。病若大腹而泄者、脈当微細而渋、反緊大而滑者、死也。

翻訳文

十七難曰く:内経には「病気には治療しても死ぬ場合、治療しなくても治る場合、また慢性化して治らない場合がある」とありますが、その予後を脈診で知ることができるのでしょうか?

はい。すべて判りますよ。診察時に目を閉じてこちらを見ようとしない患者の脈状は、強・急・長の肝脈のはずです。もし反対に浮・短・渋の肺脈であれば死にます。 目を見開き、のどが渇いてみぞおちの硬い患者の脈状は、緊・実・数(心脈)のはずです。もし反対に沈・渋・微(腎脈)であれば死にます。 吐血して鼻血の出る患者の脈状は、沈・細のはずです。もし反対に浮・大・牢であれば死にます。 譫妄(軽度ないし中等度の意識混濁状態)があり、熱っぽい患者の脈状は洪・大のはずです。もし反対に手足が冷え、沈・細・微の脈状であれば死にます。 お腹が膨れて下痢をする患者の脈状は、微・細・渋のはずです、もし反対に緊・大・滑であれば死にます。

第十八難

十八難曰:脈有三部、部有四経。手有太陰陽明、足有太陽少陰、為上下部、何謂也?

然。手太陰陽明金也、足少陰太陽水也、金生水、水流下行而不能上、故在下部也。足厥陰少陽木也、生手太陽少陰火、火炎上行而不能下、故為上部。手心主少陽火、生足太陰陽明土、土主中宮、故在中部也。此皆五行子母更相生養者也。

脈三部九候、各何主之?

然。三部者、寸関尺也。九候者、浮中沈也。上部法天、主胸以上至頭之有疾也。中部法人、主膈以下至臍之有疾也。下部法地、主臍以下至足之有疾也、審而刺之者也。

人病有沈滞久積聚、可切脈而知之耶?

然。診在右脅有積気、得肺脈結脈、結甚則積甚。結微則気微。

診不得肺脈而右脅有積気者、何也?

然、肺脈雖不見、右手脈当沈伏。

其外痼疾同法耶?将異也?

然。結者、脈来去時一止無常数、名曰結也。伏者脈行筋下也。浮者脈在肉上行也。左右表裏、法皆如此。仮令脈結伏者、内無積聚。脈浮結者、外無痼疾。有積聚、脈不結伏。有痼疾、脈不浮結。為脈不応病、病不応脈、是為死病也。

翻訳文

十八難曰く:脈には寸、関、尺の三部があり、その各部毎に四経が配当されています。例えば手の太陰肺経と陽明大腸経は寸口に、足の太陽膀胱経と少陰腎経は尺中に配当されるのはなぜですか?

それは~。手の太陰肺経と陽明大腸経の五行属性は金であり、足の少陰腎経と太陽膀胱経は水であります。金は水を生む相生関係にあり、水の方向は下って上りません。だから足の少陰/太陽は下部の尺中に脈を取るのです。足の厥陰肝経と少陽胆経は木であり、手の太陽小腸経と少陰心経の火を生む相生関係にあります。火の方向は上って下りません。だから手の太陽/少陰は上部の寸口に脈を取るのです。手の厥陰心包経と少陽三焦経は火で、足の太陰脾経と陽明胃経の土を生む相生関係にあります。土の方向は中心にあります。だから足の太陰/陽明は中部の関上に脈を取るのです。これらは、すべて五行相生の母子扶養関係をもとに成り立っています。

脈診の一つに三部九候診というのがありますが、これはどのような方法ですか?

それは~。三部とは寸、関、尺のことで、それぞれの部位で浮、中、沈の脈をうかがい3×3で九候となるのです。上部(寸口)は天に法り、胸部から頭まで上焦の病をうかがいます。中部(関上)は人に法り、横隔膜から臍まで中焦の病をうかがいます。下部(尺中)は地に法り、臍から足まで下焦の病をうかがいます。これらを審査して鍼治療を行うのです。

深く留まり慢性化した積聚の患者を、脈診で診断することができますか?

(積病は五臓の病。聚病は六腑の病。詳しくは五十五難を参照。) はい。腹診で右脇に積聚の邪気がある場合、肺脈(右寸口)に結脈が出ます。結脈が甚だしい時は積聚の病も重く、結脈がさほどでもなければ積聚の病も軽い。

腹診で右脇に積聚の邪気があるにもかかわらず、肺脈(右寸口)に結脈が出ていない場合はどうなのですか?

それは~。結脈が出ていない場合、患者の右手の脈は沈・伏になっているはずです。

その他の慢性病も同じように診断することができるのですか?それとも何か他の診断法があるのですか?

それは~。結脈とは決まった法則性もなく、脈が一拍欠落する不整脈のことです。伏脈とは筋層の下、深いところに感じ取られる脈です。浮脈とは筋肉の上、浅いところに感じ取られる脈です。病が右にあるのか左にあるのか、あるいは表にあるのか裏にあるのか、すべてこの脈診で知ることができます。 例えば脈が結・伏なのに、内に積聚がない。脈が浮・結なのに、外に慢性病がない。またその反対に積聚があるのに、脈が結・伏でない。慢性病があるのに脈が浮・結でない。このように脈と病気が一致していなかったり、病気と脈が一致していなければ、死病です。

第十九難

十九難曰:経言脈有逆順、男女有恒。而反者、何謂也?

然。男子生於寅、寅為木、陽也。女子生於申、申為金、陰也。故男脈在関上、女脈在関下。是以男子尺脈恒弱、女子尺脈恒盛。是其常也。反者男得女脈、女得男脈也。

其為病何如?

然。男得女脈為不足、病在内、左得之、病在左、右得之、病在右、随脈言之也。女得男脈為太過、病在四肢、左得之、病在左、右得之、病在右、随脈言之、此之謂也。

翻訳文

十九難曰く:内経には「脈に逆と順があり、男と女とには一定の法則がある。その法則に反すれば・・・」とありますが、どういう意味ですか?

それは~。※男子は寅に生まれ、寅は五行属性では木にあたり陽です。女子は申に生まれ、申は五行属性では金にあたり陰です。だから男子の脈は関の上(寸口)にあり、女子の脈は関の下(尺中)にあります。つまり男子では尺中の脈が常に弱く、女子では尺中の脈が常に盛んになります。それが正常な脈なのです。

※寅と申は十二支で方向を表す。受精した後、男は陽、女は陰に基づいて、十二地支を使って計算する。北を子、南を午とする。人は「子」で生まれて、男は陽だから子から順に東→南→西→北と回る。女は陰だから逆に、子から順に西→南→東→北と回る。男女は巳で出会って、反対方向に別れる。そして男は巳から南を回って寅で生まれる。女は巳から東→北→西と回って申で生まれる。そして関から上は陽、関から下は陰を表す。

それでは反する者とは、例えば男子では尺中の脈が盛んで、女子では尺中の脈が弱い時などですね。どのような病気が考えられますか?

それは~。男子の尺中が盛んならば不足(陽気不足)といい、病気は内にあります。その脈状が左にあれば病も左に、右にあれば病も右というように脈に従って判断します。女子の寸口が盛んならば太過(陽気過剰)といい、病気は四肢にあります。その脈状が左にあれば病も左に、右にあれば病も右というように脈に従って判断します。これが反する脈の病気です。

第二十難

二十難曰:経言脈有伏匿、伏匿於何臓而言伏匿邪?

然。謂陰陽、更相乗、更相伏也。脈居陰部而反陽脈見者、為陽乗陰也。脈、雖時沈渋而短、此謂陽中伏陰也。脈居陽部而反陰脈見者、為陰乗陽也。脈、雖時浮滑而長、此謂陰中伏陽也。重陽者狂、重陰者癲。脱陽者見鬼、脱陰者目盲。

翻訳文

二十難曰く:内経には「脈に伏匿有り」と記されていますが、伏匿脈とはどの臓腑に邪が及んだことをあらわしているのですか?

それは~。脈状にあらわれる陰陽相乗と陰陽相伏のことをいっているのです。尺中の脈が浮・滑・長などの陽脈ならば、陰陽のバランスは崩れ、陽気が勢いを増し陰気を抑え込んでいます。このようなとき沈・渋・短など、本来の陰脈に戻ることがあっても、それは陽脈の中に隠れた陰脈がチラッと姿をあらわしているだけなのです。寸口の脈が沈・渋・短などの陰脈ならば、陰陽のバランスは崩れ、陰気が勢いを増し陽気を抑え込んでいます。このようなとき浮・滑・長など、本来の陽脈に戻ることがあっても、それは陰脈の中に隠れた陽脈がチラッと姿をあらわしているだけなのです。 陰伏がなくなり、すべて陽脈になってしまえば発狂します。陽伏がなくなり、すべて陰脈になってしまえばうつ病になります。陽気がすべて失せてしまえば鬼(幻覚)を見ます。陰気がすべて失せてしまえば目が見えなくなります。  

第二十一難

二十一難曰:経言人形病脈不病曰生、脈病形不病曰死、何謂也?

然。人形病脈不病、非有不病者也、謂息数不応脈数也、此大法。

翻訳文

二十一難曰く:内経には「病気に見えても脈診に異常なければ生存できるし、健康そうに見えても脈診に異常あれば死亡する」とありますが、どういう意味ですか?

それはそうですが~。患者の脈状に異常がないからといって病気ではないと早とちりしてはいけません。最後に呼吸数と脈拍数の対応をチェックすることを忘れないように。これは一番大切なことですよ。

第二十二難

二十二難曰:経言脈有是動、有所生病、一脈変為二病者、何也?

然。経言是動者気也。所生病者血也。邪在気、気為是動。邪在血、血為所生病。気主呴之、血主濡之。気留而不行者、為気先病也。血壅而不濡者、為血後病也。故先為是動、後所生也。

翻訳文

二十二難曰く:内経には「経脈には是動病と所生病がある。一つの経脈異常には、この二つの病がある」と記されていますが、どういうことですか?

それは~。是動病とは気の病であり、所生病とは血の病であります。つまり気が邪気に犯されたものが是動病、血が邪気に犯されたものが所生病です。気は人体を温め、血は人体を栄養します。気の流れが留まれば人体は機能障害に陥ります。よって是動病が先なのです。血の循環が悪くなれば人体は栄養障害に陥ります。よって所生病は後なのです。だから発病の順序としては、是動病→所生病となるのです。

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