ほのしん講座

難経・解読
針法篇

このページでは全六篇で構成される難経の針法篇(六十九難〜八十一難)の原文と翻訳を掲載しています。
翻訳・解説した人
中野 保
二天堂鍼灸院 院長
行岡鍼灸専門学校卒業後に北京堂鍼灸・浅野周先生に師事。2001年に独立し二天堂鍼灸院を開院。2007年に炎の鍼灸師・養成講座(現在のほのしん講座)を開校し、未来の鍼灸師の育成にも力を入れています。2018〜19年に 『医道の日本』誌に治療法連載。
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鍼治療の学術書を出版しました

『鍼治療の醍醐味を知れば誰だって鍼の虜(とりこ)になるはず!』
本書は鍼灸師向けに書いた鍼治療の専門書です。
私の行っている治療法を整理、体系化し、難しいことを可能な限りシンプルにわかりやすくまとめました。現役の鍼灸師はもちろんのこと、これから鍼灸師を目指している人、鍼灸治療のことをもっと知りたい人たちにも興味深く読んでいただける内容になっています。
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第六十九難

六十九難曰:経言、虚者補之、実者瀉之、不虚不実、以経取之、何謂也?

然。虚者補其母、実者瀉其子、当先補之、然後瀉之。不虚不実、以経取之者。是正経自生病、不中他邪也、当自取其経、故言以経取之。

翻訳文

六十九難曰く:内経には「虚すれば、これを補い、実すれば、これを瀉し、虚でも実でもなければ、経を以って、これを取る」とありますが、どういう意味ですか?

それは~。虚証については、母経、あるいは母穴を用いて、補います。実証については、子経、あるいは子穴を用いて、瀉します。一般的に補法から行い、その後で瀉法をします。「虚証でも実証でもないなら、その経から取穴する」とは、これは自経そのものが病んでいるのであって、母経や子経などの他経から病邪を受けていない状態です。だから、その経自体を取穴します。故に「経を以って、これを取る」と言っているのです。

 「経を以って、これを取る」とは、脈に虚実が表れていない時です。それを「不虚不実」と言っています。具体的には、腱鞘炎とか、五十肩、坐骨神経痛などの経筋病を意味しているのではないでしょうか。また脈に虚実が表れるのは、母や子が邪気を伝えるため、その母や子に補瀉をするのです。

第七十難

七十難曰:春夏刺浅、秋冬刺深者、何謂也?

然。春夏者、陽気在上、人気亦在上、故当浅取之。秋冬者、陽気在下、人気亦在下、故当深取之。

春夏各致一陰、秋冬致一陽者、何謂也?

然。春夏温、必致一陰者、初下鍼沈之、至腎肝之部、得気引持之陰也。秋冬寒、必致一陽者、初内鍼浅而浮之、至心肺之部、得気推内之陽也。是謂春夏必致一陰、秋冬必致一陽。

翻訳文

七十難曰く:春、夏には浅く刺し、秋、冬には深く刺すとは、どういうことですか?

それは~。春、夏には、自然界の陽気は上昇し、人の陽気もまた体表にあります。だから浅く刺すのです。秋、冬には、自然界の陽気は潜伏し、人の陽気もまた筋骨深くにあります。だから深く刺すのです。

春、夏は陰気を到らせ、秋冬では陽気を到らせるとは、どういうことですか?

それは~。春、夏は温暖で、陰陽のバランスが陽に偏盛しています。したがって陰気を得る必要があるのです。最初に鍼を深刺し、腎肝の部(筋骨)に到らせ、得気させた後、陰気を引きあげるように、鍼を体表へと戻します。秋、冬は寒冷で、陰陽のバランスが陰に偏盛しています。したがって陽気を得る必要があるのです。最初に鍼を浅刺し、心肺の部(皮膚、血脈)に到らせ、得気させた後、陽気を推し込むように、鍼を深層へと刺入します。以上が春、夏には陰気を、秋、冬には陽気を到らせるということです。

第七十一難

七十一難曰:経言、刺栄無傷衛、刺衛無傷栄、何謂也?

然。鍼陽者、臥鍼而刺之。刺陰者、先以左手摂按所鍼栄兪之処、気散乃内鍼。是謂刺栄無傷衛、刺衛無傷栄也。

翻訳文

七十一難曰く:内経には「栄気を刺す時は、衛気を傷つけないように、衛気を刺す時は、栄気を傷つけないように」とありますが、どういう意味ですか?

それは~。陽(衛気の巡る所)に刺鍼する時は、横刺します。陰(営気の巡る所)に刺鍼する時は、左手(押し手)で刺鍼穴に前揉法をおこない、衛気を逃してから刺鍼します。以上の方法を用いれば、不用に衛気、営気を傷つけなくて済みます。

第七十二難

七十二難曰:経言、能知迎隨之気、可令調之、調気之方、必在陰陽、何謂也?

然。所謂迎隨者、知栄衛之流行、経脈之往来也、隨其逆順而取之、故曰迎隨。 調気之方、必在陰陽者、知其内外表裏、隨其陰陽而調之、故曰調気之方、必在陰陽。

翻訳文

七十二難曰く:内経には「気の迎隨をよく知れば、これを調和できる。その方法は、陰陽にある」とありますが、どういう意味ですか?

それは~。いわゆる迎隨とは、経脈を往来する、営気、衛気の流れを知り、その走向に順じて、あるいは逆らって刺入する刺鍼法のことで、これを迎隨と呼ぶのです。その気を調える方法が、陰陽にあるとは、その病変が内外表裏のどこにあるか知り、陰気、陽気のバランスを調えることです。これが調気の法は、陰陽にありといわれる所以です。

第七十三難

七十三難曰:諸井者、肌肉浅薄、気少、不足使也、刺之奈何?

然。諸井者木也、栄者火也、火者木之子、当刺井者以栄瀉之。故経言、補者不可以為瀉、瀉者不可以為補。此之謂也。

翻訳文

七十三難曰く:すべての井穴は、肌肉の薄い部位にあり、経気も少なく、鍼で瀉法を施すには不向きです。何か他に良い刺鍼法はありませんか?

それは~。すべての陰経の井穴は木に属し、栄穴は火に属します。火は木の子です。したがって井穴を瀉したい時は、栄穴を瀉せばいいのです。だから内経には「補法が必要なものに瀉法を行ってはならず、瀉法が必要なものに補法を行ってはならない」とあります。これは物事の道理です。

第七十四難

七十四難曰:経言、春刺井、夏刺栄、季夏刺兪、秋刺経、冬刺合者、何謂也?

然。春刺井者邪在肝、夏刺栄者邪在心、季夏刺兪者邪在脾、秋刺経者邪在肺、冬刺合者邪在腎。

其肝、心、脾、肺、腎、而繋於春、夏、秋、冬者、何也?

然。五臓一病、輒有五也。仮令肝病。色青者肝也、臊臭者肝也、喜酸者肝也、喜呼者肝也、喜泣者肝也。其病衆多、不可尽言也。四時有数、而並繋於春、夏、秋、冬者也。鍼之要妙、在於秋毫者也。

翻訳文

七十四難曰く:内経には「春は井穴を刺し、夏は栄穴を刺し、夏の土用以降は輸穴を刺し、秋は経穴を刺し、冬は合穴を刺す」とありますが、どういう意味ですか?

それは~。春に井穴に刺鍼するのは、肝に病邪があるからです。夏に栄血に刺鍼するのは、心に病邪があるからです。夏の土用以降に輸穴に刺鍼するのは、脾に病邪があるからです。秋に経穴に刺鍼するのは、肺に病邪があるからです。冬に合穴に刺鍼するのは、腎に病邪があるからです。

それでは、肝、心、脾、肺、腎と春、夏、夏の土用以降、秋、冬は、どのように関係しているのですか?

それは~。五臓のうち、どこに病があるかは、五色、五臭、五味、五声、五液によって知ることができます。例えば肝の病の場合、顏色は青く(緑っぽい色)、体臭は脂くさく、酸味を好み、よく叫び(ストレスが溜まると、意味もなく、よく喚くよね)、よく涙が出ます。その他にも多くの症状があり、ここでは言い尽くせません。四時にも定まった法則があり、五臓と春夏秋冬が対応しています。鍼治療の重要な妙技は、これら些細で微妙な変化を読み取ることです。〔四十九難参照〕

第七十五難

七十五難曰:経言、東方実、西方虚、瀉南方、補北方、何謂也?

然。金木水火土、当更相平。東方木也、西方金也。木欲実。金当平之。火欲実、水当平之。土欲実、木当平之。金欲実、火当平之。水欲実、土当平之。東方肝也、則知肝実。西方肺也、則知肺虚。瀉南方火、補北方水。南方火、火者木之子也。北方水、水者木之母也。水勝火、子能令母実、母能令子虚、故瀉火補水、欲令金不得平木也。 経曰、不能治其虚、何問其余? 此之謂也。

翻訳文

七十五難曰く:内経には「東方が実して、西方が虚すれば、南方を瀉して、北方を補え」とありますが、どういうことですか?

それは~。金、木、水、火、土の五行は、それぞれ牽制したり、扶助しあって、平衡を保っています。(上の例では)東方は木に属し、西方は金に属します。 木が勢いを増そうとすれば、金がこれを牽制して平衡に戻します。火が勢いを増そうとすれば、水がこれを牽制して平衡に戻します。土が勢いを増そうとすれば、木がこれを牽制して平衡に戻します。金が勢いを増そうとすれば、火がこれを牽制して平衡に戻します。水が勢いを増そうとすれば、土がこれを牽制して平衡に戻します。 さて、東方は肝に属すため、東方実とは、肝実のことです。西方は肺に属すため、西方虚とは、肺虚のことです。そこで、南方の火(心)を瀉し、北方の水(腎)を補います。南方は火(心)に属し、火(心)は木(肝)の子です。北方は水(腎)に属し、水(腎)は木(肝)の母です。水(腎)は火(心)を剋し、子は母を盛んにでき、母は子を衰えさせることができます。それで火を瀉して水を補えば、金が回復して木が抑えられるのです。内経に「その虚が治療できないのに、そのほかの治療を訊ねるか」とあるのは、この意味です。

解説:この難で述べられている、補水瀉火法は、五行相生の原理を使った補瀉方法の一つです。これは『六十九難』の「虚則補其母、実則瀉其子」を補足したもので、例題の肝実において、心火を瀉すとは、この法則どおりです。しかし「虚則補其母」の原理を使えば、肺虚には脾を補うことになりますが、この難では脾ではなく腎を補っています。これは単純に一つの臓が病んでいるだけでなく、他臓にも病邪が波及したためです。ここでは心肝の火が余り、肺腎の陰が不足した証です。そこで心火を抑えながら腎陰を助けねばなりません。だから培土生金の「虚則補其母」を使わないのです。このようなケースでは、単なる肺虚や肝実ではなく、虚実が共に存在するため、複雑な証になり、こうした変法が必要となるのです。これは一例で、他のケースも同様に治療します。

第七十六難

七十六難曰:何謂補瀉?当補之時、何所取気?当瀉之時、何所置気?

然。当補之時、従衛取気。当瀉之時、従栄置気。其陽気不足、陰気有余、当先補其陽而後瀉其陰。陰気不足、陽気有余、当先補其陰而後瀉其陽。栄衛通行、此其要也。

翻訳文

七十六難曰く:補瀉とは、何ですか?補法を行う時は、どこから気を取って補うのですか?瀉法を行う時は、どこの気を捨てて瀉すのですか?

それは~。補う時は、衛分から気を取ります。瀉す時は、営分から気を捨てます。陽虚陰実ならば、先に陽を補い、その後で陰を瀉します。陰虚陽実ならば、先に陰を補い、その後で陽を瀉します。そうして栄衛の気を正常に流通、運行させることが、鍼の補瀉法の要なのです。

ここでは営衛補瀉の刺鍼方法と、前後の手順が述べられています。衛気は脈外を行き、その部位は浅く、営気は脈内を行き、その部位は深くにあります。衛分に刺して気を得た後、さらに深く刺し、虚した営分に気を納めるのが補法です。営分に刺して気を得た後、その気を引き出して、外に発散するのが瀉法です。こうして経脈の虚を衛気で補ったり、実した経脈から営気を捨てて、経脈中の気を一定に保つのです。

第七十七難

七十七難曰:経言、上工治未病、中工治已病者、何謂也?

然。所謂治未病者、見肝之病、則知肝当伝之与脾、故先実其脾気、無令得受肝之邪。故曰治未病焉。中工者見肝之病、不暁相伝、但一心治肝。故曰治已病也。

翻訳文

七十七難曰く:内経には「上工は未病を治し、中工は已病を治す」とありますが、どういう意味ですか?

それは~。未病を治す人は、肝の病を診れば、次にその病邪が、肝から脾に伝わることを知っているのです。だから先に脾気を補っておいて、肝邪を受けないようにします。つまり、未病を予防できるのです。普通の医者が、肝の病を診れば、その病邪が他臓に伝わることを知らないため、一生懸命に肝ばかりを治療します。だから今ある病しか治せないのです。

第七十八難

七十八難曰:鍼有補瀉、何謂也?

然。補瀉之法、非必呼吸出内鍼也。知為鍼者信其左、不知為鍼者信其右。当刺之時、先以左手圧按所鍼栄兪之処、彈而努之、爪而下之、其気之来、如動脈之状、順鍼而刺之。得気、因推而内之、是謂補。動而伸之是謂瀉。不得気、乃与男外女内。不得気、是謂十死不治也。

翻訳文

七十八難曰く:鍼には補法と瀉法がありますが、その操作方法はどう行うのですか?

それは~。補瀉の鍼法とは、呼吸にあわせて刺入と抜鍼する刺鍼法だけではありません。鍼をよく知る者は、左手(押し手)に重きを置きます。鍼をよく知らない者は、右手(刺し手)に重きを置きます。 本来、刺鍼の時は、まず左手で兪穴の場所を按圧し、皮膚を弾いて怒張させ、さらに穴位を爪で押さえ、経脈の気が来ていることをうかがい、動脈の拍動のような感覚が皮下にがあれば、ただちに鍼を刺入します。そこで気が得られれば、鍼を深部へ推し進めます。これが補法です。あるいは鍼を大きく揺らせながら抜鍼すれば、瀉法にもなります。もしも得気しなければ、男子の場合は浅刺で、女子の場合は深刺して、気をうかがいます。それでも得気しなければ、十中八九、不治の病で予後不良でしょう。

第七十九難

七十九難曰:経言、迎而奪之、安得無虚?隨而済之、安得無実?虚之与実、若得若失、実之与虚、若有若無、何謂也?

然。迎而奪之者、瀉其子也。隨而済之者、補其母也。仮令心病瀉手心主兪、是謂迎而奪之者也。補手心主井、是謂隨而済之者也。 所謂実之与虚者、牢濡之意也。気来実牢者為得、濡虚者為失。故曰、若得若失也。

翻訳文

七十九難曰く:内経には「迎えてこれを奪えば、どうして虚を得られないことがあろうか?随ってこれを救済すれば、どうして実を得られないことがあろうか?虚と実とは、得るような~失うような~、実と虚とは、有るような~無いような~」とありますが、一体何が言いたいの?

それは~。迎えてこれを奪うとは、その子を瀉すことです。随ってこれを救済するとは、その母を補うことです。例えば、心の病ならば、手の厥陰心包経の輸土穴を瀉します。これが、迎えてこれを奪うの意味です。補法では、手の厥陰心包経の井木穴を使います。これが、随ってこれを救うの意味です。(経脈の流注の方向に対して、順逆をうたった七十二難の迎隨補瀉とは異なることに注意してください)  虚と実とは、鍼で迎隨補瀉をした時、手に伝わってくる感覚のことで、その感覚が硬かったり、軟らかかったりするといった意味です。気が至り、充実してきたら、鍼を締めつけるような感覚があり、得といいます。そうではなく軟弱で虚していれば、失といいます。だから得るような~、失うような~というのです。

第八十難

八十難曰:経言、有見如入、有見如出者、何謂也?

然。所謂有見如入者、謂左手見気来至乃内鍼、鍼入見気尽乃出鍼。是謂有見如入、有見如出也。

翻訳文

八十難曰く:内経には「現れて入り、現れて出る」とありますが、どういう意味ですか?

それは~。現れて入りとは、左手(押し手)に気が来たことを感じたら、鍼を刺入することです。現れて出るとは、刺入して、邪気が尽きるのを感じたら、抜鍼することです。これが現れて入り、現れて出るの意味です。(この難では、七十八難の内容が繰り返し述べられています)

第八十一難

八十一難曰:経言、無実実虚虚、損不足而益有余、是寸口脈耶?将病自有虚実耶?其損益奈何?

然。是病非謂寸口脈也、謂病自有虚実也。仮令肝実而肺虚、肝者木也、肺者金也、金木当更相平、当知金平木。仮令肺実而肝虚、微少気、用鍼不補其肝、而反重実其肺。故曰実実虚虚、損不足而益有余。此者中工之所害也。

翻訳文

八十一難曰く:内経には「実を補い、虚を瀉し、損を不足させ、有余を益すな!」とありますが、これは寸口脈の虚実をいっているのですか?それとも病気自体の虚実をいっているのですか?またその損益とは何ですか?

そうですね。これは病気の話で、寸口脈の虚実ではなく、病気自体の虚実をいっています。例えば、肝実肺虚の場合、肝は木に属し、肺は金に属します。金と木とは、相互に制御しあって平衡を保っています。したがって、この場合だと、金(肺)を補い、木(肝)を瀉して平衡に戻します。 例えば、肺実肝虚の場合、肝気が微弱になり不足しているのに、鍼を用いて肝を補わずに、反って肺を補ったりすると、ますます重症になります。だから、実を補い、虚を瀉せば、損を不足させ、有余を益するというのです。これは、中工(普通の医者レベル)が犯しやすい過ちです。

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